家具雑貨工房 ki-kiru(きーきる)

木の家具や雑貨は見えない部分が肝心です。隠し事はありませんよ、全て公開しています。
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お母さんの机

お母さんの事 17

翌日、私は仕事があるので朝早くいつものように広尾町から出勤しました。

私の彼女はしばらく会社を休むことになるのですが、週が開けていきなりでは職場が混乱するとあってその日は少しだけ出勤したそうです。

ここ広尾町は海に面した漁師町ですが私が出勤する朝6時頃の街の風景は帯広より人の気配がありません、きっと港では活気づいているのでしょう。

空気さえも碧く映る日の出前のラッコ川河口付近には、釣り人と海鳥たちが一定の距離を保ち次の動作を待っているようでした。

いつもと変わらぬ風景ですが、私の頭の中では昨夜の出来事が何度も何度も繰り返されていました。

真っ暗闇の国道で対向車のライトが映し出すお母さんの姿・・・

あんな事があっても、世の中があまりにも変化が無くて少し釈然としない気持ちが湧いてきますが、これは私の自己中心的な感情・・・まだまだ経験が足りていない証拠なのでしょう。


会社に到着。

いつものように仕事に忙殺される私は、気が付けば私自身がいつもとなんら変わらずに会社の歯車と化しています。

組織のなかで働いているわけですから、私情は禁物。当たり前です。

ふと、昨夜の大樹町の救急隊員の事を思い出しました・・・

「あの人達はあれで職責を全うしていたんだろうな・・・」

もっとキビキビと行動出来ないのかと感じていた自分が恥ずかしい。


そんな風に考えていると、不意に専務が私に話しかけてきました。

「Kさんのお母さん、夕べ大変だったんだって?」(Kさんとは私の彼女の名です)


情報が早いなぁ、と思いましたが当たり前です。彼女の会社と私の会社は経営者が同じなんです。

彼女が朝一で勤怠の報告をしたのでしょう。

専務「Kさんのお母さんの事で出来る事があれば助けてあげてください」

私「はい、ありがとうございます」

こう云うのは助かるな、と思いましたが同時に「私よりも私の彼女のほうが大事にされているのでは…」

と、いらぬ想像をしてしまいました。





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お母さんの机

お母さんの事 16

診断結果は意外にも「ケイレン」でした・・・

「CT画像の準備が出来たので、それを見ながら説明します」

担当医がそう言い、また別の部屋に案内されました。

その部屋にはモニターが三つあり、既にお母さんの頭部をスキャンした画像が映し出されていました。

その何とも無機質に感じる画像を指しながら担当医の説明が始まります。


「お母さんは激しい痙攣を何度も起こしましたが、この映像を見る限りどこにも出血は見られません」

そう聞いた瞬間、私はもしかして助かったのではないかと思いました。医者が言っているんだから間違いないのではとも考えました。

でも、もしそうであればあの痙攣は何だったのか、そもそも痙攣って一体なんだ?病名なのか?症状の事なのか?一瞬の間にあれこれと考えました。

担当医が続けます。

「痙攣というのは通常大人には起こりません、大人が痙攣を起こす時は必ず脳の中で何かしら原因があります。大概は脳出血なんですが今回の検査ではそれが認められません。もしかするとこの画像には映らないくらいの小さな出血が起きているのかもしれませんが、短いスパンでスキャンをして今は様子を見る以外ないんです・・・」

私には何とも煮え切らない、と言うか頼りない説明でした。

でも、とにかく当座はしのいだ、助かったんだと思いました。

「やったぁ」とみんなで喜び合いたい気持ですが、近くには別の家族の方たちもいることですし、グッと噛みしめます。

私は待ち合い室に戻るとすぐさまスマートフォンを取り出し、「痙攣」を検索しました。

すると、やはり大人の痙攣は脳内出血がおもな原因のようですが、稀な例では寄生虫が関係する事もあるそうです。

原因が分からない現状では手放しに喜べませんが、広尾から帯広までの出来事を思えば今生きているだけで充分です。

もしこの後大きな出血が起きても地域で一番の設備とスタッフが揃っているこの病院のICUにいられるという事は、例え万が一の事があってもこれ以上の環境は望めないことから諦めも付くでしょう。

私はそう思うと、緊張がとけてどっと疲れを感じました。

彼女もそうだと思いますが、大事なことを思いだしました、私達は夕飯の支度の途中で飛び出して来たのです。

時計は24時を過ぎていました。入院の支度もありますから住宅に戻らなければなりません。


私は90km離れた広尾町に帰る道中、医療過疎の田舎で暮らすという事について今までは考えた事も無かったのですが、実際に身をもって体験すると、そこで生きていくという事は、いくらインフラが整っても過酷なのだなと考えていました。







お母さんの机

お母さんの事 15

救命センターの待合室は異様な空気で満ちていました。

亡くなられた若い女性の親族たちが悲痛な風景を作り出していたのは間違いありません・・・

待合室には私たちの他にも数名の患者とその関係者らがいました。

その誰もがおおよその顛末、家族関係を想像するに充分な話し声も聞こえていました。

別れは痛ましいですが、悲しいものとそうではないものとが私にはあります。

しかしこの時私はあかの他人にもかかわらず、何も知らず留守番をしている子供たちを想像してしまい胸が苦しくなってしまいました・・・


一瞬、私達がなぜここにいるのか忘れてしまうようなそんな空気の中、看護士が私たちを呼びます。

「他の家族の方もいらっしゃるので別室に入って下さい」

若い女性の看護士がそう言い、私たちは小さな部屋に案内されました。

お母さんの容体を説明する前に、担当した医者が私達とお母さんとの間柄について教えて下さいと言いました。

その時、一人ひとり長男です、とかその妻ですとか続柄を言うのですが、「あなたは?」と聞かれた際、私は少し気まずい思いをしました。

私達の内心では家族も同然なのですがそれは週末だけのこと・・・長女の交際相手、つまり他人だからです。

担当医が初めに続柄を訊ねた意図、詳しい説明は家族のみにしたい意が感じられました。

私が言葉を詰まらせていると隣にいた彼女がすかさず、「私の彼氏です、母の変化に気づき車を運転し大樹町まで運んでくれました」と説明しました。

こう云うのをフォローと言うのだなと感心していると「なるほど」と担当医も納得してくれたのか、レントゲン写真を広げながら説明がはじまりました。

しかしそれは、私達がついさっき体験した修羅場のような車中に覚悟した事とは程遠いものでした。

「検査をした結果から言いますとお母さんは、痙攣です」

担当医がそう言いました。



お母さんの机

お母さんの事 14

私達が3次救急のこの救命センターに来るのは二回目でした。

前回ここに来た時は夜間にも拘わらず、発熱や打撲程度の来院者が待合室にあふれていて違和感を感じましたが、この日は違いました。

比較するとこの日のほうが症状の重い急患が多いようで、尚且つ待合室のイスには空席が目立っていました・・・

付き添いの人がいないだけで、急患の数はいつもと変わらないのかも知れません。処置室の中は誰かに支持を出す声が絶え間ない事から慌ただしい様子が伺えます。


一瞬そこに居た誰もが無口になり、なんとも表現のしがたい空気が流れていた時、遠くから近づいていた救急車のサイレンの音が止まり新たな急患が運び込まれました・・・

突然に慌ただしく看護士達が走り回り、空気が変わります。

救急隊と看護士らが運ぶ担架に若い男の人がしがみ付き、震えるような声で我が妻の名を呼ぶ声がはっきりと聞こえました。

更に「俺が悪い、俺が悪い」・・・

数分後、知人や親戚らしき人たちが駆けつけ、家で留守番をしている小さい子供たちを案ずるような話や今後について、顔が真っ赤になりハンカチで口を押さえながら話し合う人、放心状態で床にドスンと座り込む人などが私達の目の前で人気も気にせず繰り広げます。

処置室の奥のほうから妻の名を呼ぶ声が何度も聞こえていました・・・


目の前で起きている無情な出来事に同情する余裕など私たちには無いのですが、正直可哀想だなと感じました。

私のその同情が旦那と思しき若い男の人へなのか、残された小さな子供たちなのか、泣き崩れる知人たちへなのかは、今は正確には思い出せません。

多分私達は、その人たちと同じように感じる悲劇の順番を待っているような状態だったのだと思います。














お母さんの机

お母さんの事 13

院長が乗り込み、やっとの事救急車は出発しました。

彼女はお母さんに付き添い、私は自分の車で一路帯広の病院へ向かいます。

搬送先はついこの前退院したばかりの救急救命センターでした。

その病院であればお母さんのカルテも揃っているし、病院施設の勝手が分かっているので搬送先を聞いた時すこし安心しました。

救急車は国道を北上し高速道路を使おうとしていましたが、私は更別町の分かれ道で裏道の空港線を走るために国道を右折しました。

高速を使えば安全なのでしょうが、遠回りになるので自分だけでも少しでも早く到着していたかったのです。

救命センターには既に連絡をしていた弟さん夫婦が詳細も分からず、気をもんでいるに違いない・・・


大樹町からの道中、私の走る裏道と高速道路が交差する所が大正町に一か所だけあるのですが、通過する際に上を見上げ、救急車の赤い回転灯を探しましたが確認できませんでした。

私は過去に救急車がもの凄いスピードで走行するのを見た事がありません。きっとあの運転手もそれほど急いではいないのかな、と想像していました。


私は帯広市街に入り一足先に病院に到着・・・と思っていたのですが、そこには大樹町消防と書かれた救急車が既に停まっていて中には人がいませんでした。

あわてて救命センターに入ると泣きながら一人立っている彼女がいました。

お母さんは既に処置室でした・・・

彼女の説明によると、お母さんは道中何度も繰り返しあの激しい痙攣を起こしていたようです。

同伴した院長先生は、何度か点滴を試みるも、あまりに激しい痙攣が絶え間なく起こるので断念し、お母さんの体を押さえ懸命に励ましてくれていたそうです。

救急隊員達も院長も彼女もお母さんの為に死力尽くすような壮絶な車内だったと説明しました。

しばらくして緊急処置室から、引き継ぎの終わった隊員達と院長が役目を終え出てきました。

その疲れ切った真っ赤な顔、全身に染みた汗、心臓の鼓動までもが伝わって来るような気がしました。


院長が「私にできる事は全てやりましたが、何も出来なくて本当にすみませんでした」と申し訳なさそうに言いました。

大樹町を出るまでは、なんだか頼りなく感じていた院長や救急隊員ですが、そのとき出来る最大限の対応をしてくれたのだなと、その姿を見てまるで一緒に戦った同志のように思いました。

「有難うございました」

自分の病院の事があるのに無理をして付き添ってくれた院長と、半ば放心状態で疲れ切った救急隊員の人達に、深くお辞儀し大樹町へ帰る救急車を見送りました。


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