家具雑貨工房 ki-kiru(きーきる)

木の家具や雑貨は見えない部分が肝心です。隠し事はありませんよ、全て公開しています。
MENU
お母さんの机

お母さんのつくえ 21

S井くんの一言が、私の夢を打ち砕いたような気がしました。

 その後、気になって少しだけ木工の専門学校について調べたのですが、私の場合、会社を辞めて離職票を取得すれば、再就職支援策に乗っかって、入学できるようです。

地域によっては在学期間中の生活費も頂けるようですが、私の住む帯広では、どうなっているのかそこまで調べる気にはなれなくて、わかりません。

 私がもっと若ければ『えいっ』と、飛び込んだのでしょうが、四十半ばのおじさんには高いハードルと感じましたし、費やす2年間が正直もったいないと思いました。

 のちに、ネットや本で知ったのですが、必ずしも専門学校の経験が必要ではないらしく、もやもやした気持ちが少しだけ晴れたような気がしました。


 ようし、またなにか作るぞ。


 座布団一枚が財産のお母さんには、妹や義姉、姪っ子などで構成される応援団がいて、お母さんのすぐ下の妹ののりえさん夫婦からベッドが送られて来ました。
 
とても立派なベッドがお母さんの部屋に設置され、すこしずつ格好がついてゆきますが、まだまだ必要なものがあります。

 歩行が困難なお母さんには、歩行器や車椅子が必要でした。
そしてそれらに座ったまま使えるドレッサーを作れないかと、私の彼女からリクエストがはいりました。
iphone_20120318204723.jpg

 せっかく作るのですから、私の自己満足に終わらないように、何を収納するのか、どのように使ってどこに置くのか等打ち合わせてゆくと、だんだん出来上がりのイメージが具体的になってゆき、デザインが決まります。
 
 そんなやり取りは、お互いの価値観を確認し合う大切な時間であり、木工の楽しさでもありました。

 
 デザインというか、デッサンというか、設計図が出来上がった頃、当初ドレッサーを作る予定でしたが、結局お母さん専用のつくえを作る事になりました。

 これが、お母さんのつくえを作る経緯です。

 はぁ~永かった...

スポンサーサイト
お母さんの机

お母さんのつくえ 20

季節は春になっていました。

 私の勤める会社は3月あたりが猛烈に忙しく、なかば不眠不休で仕事を捌いておりました。
いくら働いても、次から次ぎへと廻ってくるその作業は、笑いが止まらない経営者とはまったく逆の感情を覚えるのでした。

 それでも土曜日になれば自分の体に鞭を打つように、車を走らせ、彼女たちが待つ広尾町へ向かうのです。

 私が彼女の家に行っても、物理的に何かを手伝い実際に役に立つ事はあまりありません。しかし、いつの間にか私は彼女とお母さんの精神的な潤滑油のような存在になっていたようで、二人の間で彼女に出来ないことを、お母さんに出来ないことを補うのが私の役割になっていたのだと思います。

 彼女はお母さんと努めて仲良くやっていたのですが、どこかでストレスが溜まり、時々、噴射するように愚痴るのでした。私が仕事の都合でそちらへ行けない旨を話そうものなら、今すぐに自害でもしそうな勢いで落ち込むのです。

 ですから、土曜の夜遅くに広尾へ行き、一晩泊まり日曜の朝、帯広へ戻り出勤、その夜広尾へ戻り、翌月曜日の早朝帯広へ帰る。というアクロバットというかあるいは、アブノーマルな強行軍が恒例となっていました。

 そんな繁忙期のある日、私の職場に若い新入社員が配属されて来ました。 その青年は、あのアイドルグループ嵐の櫻井翔と同姓同名のS井君という美少年でした。

 S井君は私の火の出るような訓練に何度も挫けそうになりながら、なんとかかんとか期待に応えてくれて、少しずつですが作業をあずける事ができ、私の仕事がだんだん軽減していきました。
 
 それでも、私とS井君の退社時間が24時より前になる事は稀で、他の誰より長時間に渡り関わる存在になっているのは変わりません。深夜になると仕事の合間に私の木工自慢が炸裂するのですが、S井君はイヤな顔も見せず、私の話に付き合ってくれました。

 嵐の櫻井翔と同姓同名のS井君は前職がログハウス職人だったそうで、木工自慢が独りよがりのおじさんの面倒くさい話しではなかった事が救いでした。

 そんなある日、私は今の仕事について疑問を感じていました。

 仕事は印刷会社で紙の加工をしています。私のする仕事を、早くて上手だと、評価してくれる人もいるのですが、そう褒めてくれるのは社内の数人に限ったことなのです。本当に身を削る思いをして、やっと納期に間に合わせた製品が、競争に勝てないという理由で低い価格で取引されていきます。

 サラリーマンですから、仕方ないのは重々承知していますが、私が加工しようが、他の者がやろうがその製品の価値が変わることは、なかなか無いのです。

 「木工で独立したいな」

とS井君に呟くと、すかさず… 
「家具を作るには、学校へ行って資格を取らないとだめなんですよ!」と嵐の櫻井翔と同姓同名のS井君が私に諭すように言うのです。

 「そうなんだ‥‥」




 

お母さんの机

お母さんのつくえ 19

またまた注文が入りました。

新しい住居は隅っこのほうにあらゆる小物がじか置きされているので、作らなければならない家具がまだまだあります。

下駄箱もないので、玄関には靴があふれるように並んでいましたし、押入れの中もごちゃごちゃでした。

しかし、そんな収納家具よりも早く用意しなければならなっかたのが食卓テーブルでした。

長いすの前にローテーブルがあり、以前はそこで食事をしていたのですが、テーブルが低すぎて年寄りのお母さんにはかなり無理が有り、上手に食事をする事が難しい状態だったのです。

食卓テーブルがあれば、お母さんは車椅子に乗ったまま食事が出来るというわけです。

テーブルの設計やデザインはいろいろと悩みました。ですが、やはりそんな事で悩んでいたずらに時間をかけてはいられません。
私たちは妥協して出来合いの天板と脚を買って組み立てる選択をしました。道具が殆ど無い状態では仕方ありません。材料を求めて帯広のホームセンターへ行きパインの集成材を買いました。でも結構値段が高いんですよね、こういうのって。
1万円は掛かったと思います。それほど大きくはない天板でしたし、それだったらニトリあたりで、安い完成品を買えば良かったかなとも思いました。しかし、組立が始まるとなかなか楽しいものでした。

かるく紙ヤスリで撫でてオイルを塗り、完成です。

オイルはワトコのナチュラルにしました。
014_convert_20120304214319.jpg

本当はオスモにしたいと考えていましたが、値段がね、高いんですよね。
この時ワトコオイルを使ったことで、この後私が使うオイルは全てワトコで揃える事となりました。ワトコの臭いを気にする人もいるようですが、私は気になりません。今ではその甘いような香りが気に入っているくらいです。
オイルの塗装はベランダで刷毛を使ってやります。二度塗りをして、1週間くらいほったらかしにしておけば、だいたい臭いは飛んでいます。
009_convert_20120304205544.jpg

乾燥後、茶の間に置くとやはりいい感じ。

存在感があり、シンプルで、安定感もある… などとしばらく、褒め殺し。

出来るだけ早く作りたっかので、今回のテーブルもこれで良しと思ったのですが、なにか物足りない感じがありました。

もっと自分で加工したい、家具職人がやるように切ったり、板はぎしたり、接いだり、組んだり‥‥と想像を膨らましました。

そんな事を考えていると、出来たばかりのテーブルがどこか、つまらなく、というか物足りない感じを覚えるのでした。

該当の記事は見つかりませんでした。