家具雑貨工房 ki-kiru(きーきる)

木の家具や雑貨は見えない部分が肝心です。隠し事はありませんよ、全て公開しています。

 

お母さんの事 12 

「分かりました」

院長がそう言い、やっとお母さんを観に来てすぐさま近くの引き出しを開けました。



中から青く小さなラッパのような管を取り出し、お母さんの鼻に挿入しました。

この小さなラッパのような管はナザールチューブ(径鼻エアウェイ)と呼ばれる器具で、鼻の穴から管を挿入し気道を確保するものなのですが、子供の玩具のようなこんな簡単な器具で人を助ける事が出来るのであれば、なんで今まで私が知らなかったのか、AEDのようなものものしい機械があちこちに設置されていて、使い方の講習も頻繁に行われている昨今になぜナザールチューブにような物、事が広告されていないのか疑問を覚えました。

医療行為だから資格の無い者はダメ、などのルールが有ることは理解していますが、こんな小さなホースみたいな物を絆創膏などのようにいつも身近にあって、それを使うノウハウがあれば・・・と思ってしまうのです。

院長が「お母さんはきっと脳出血していると思うんですが、それを診察する為の設備も何も無いんです・・・こんな事くらいしか出来ません・・・すみません・・・」と説明するように言いました。

ここは内科・小児科でした。


お母さんは気道が確保され、呼吸音だけですが、すぐ穏やかになってゆきました。

それからどれくらい時間が経過したのか曖昧なのですが、ややしばらくして救急車が到着しました。

この十勝圏には脳神経外科は帯広にしかありません、院長先生には過度な期待をしてしまいましたが私たちも緊張し興奮していました・・・

この後は大樹町の救急隊の方たちに託します。

お母さんが救急車に移って、院長と救急隊員が引継ぎをしているのをただ見守るしか無いのですが、何度も繰り返し激しく痙攣する母に動揺しているのが見て取れます。酸素マスクの準備や電話などしている隊員を見ていると、焦りともどかしくさで、頼むから早く帯広へ向かってくれと言いたくなりました。

救急車の中で一人の隊員がお母さんの左腕を取り、血圧を測ろうとしていました。

すでに救急車に乗って、ずっとお母さんを見ていた彼女がそれを見て「そっちにはシャントがあるんです!」と言いました。

シャントとは透析患者が体内に埋め込むバイパスなのですが、強い圧などが加わると壊れてしまいます。そのことの引継ぎは書面で渡されていたのです。

私は先ほどからのイライラも相まって、勝手ながら「こいつら、本当に訓練されているのか」と思ってしまいました。

あまりの激しい痙攣の為か、救急隊員の一人が院長先生に同伴してくれるよう頼んでいましたが、それは無理だと断られている様子でした。

当然だと思いました。
なぜならこの病院は田舎町の個人病院で、同施設内にケアホーム等もあり、沢山の患者や入居者がいる筈です。この後、院内で何も無いとも言い切れません。

しかし、いったん病院へ戻ったかと思った院長が鞄を持って救急車へ乗り込んできました。

「何も出来る事が無いかもしれないけど、一緒に行きます。」と、搬送先の病院まで同伴してくれることになったのです。

明らかに動揺しているとしか思えない救急隊の様子を見て、無理をしてくれたのだと思います。
私たちは、安心感を覚えると同時に事態の切迫を感じました。

当たり前であれば、こんな状況でも自分の病院から離れられないと思うんです。


ここから帯広の病院までかるく60kmはあります。

時計を見ると、私たちが自宅を飛び出してから1時間以上経過していました・・・
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お母さんの事 11 

大樹町の病院に着き、お母さんを車椅子に移す事がなかなかうまく行かずもたもたしているうちに彼女と院長が来ました。


日曜日の夜だったせいか院長以外のひと気は感じられず、ひっそりとしたロビーを左に曲がり診察室に入りました。

看護婦がいなかったり、救急車が来ていなかった事を一瞬でも忘れてしまうくらい達成感というのか安堵感のようなものを感じていました。

車椅子からベットに移し「もう心配ないよ、良くがんばったね」と声をかけました。

お母さんはうなづいていました。

院長は診察室の奥のほうでどこかへ電話をしている様子でした、まさか今救急車を呼び出しているんじゃないだろうな・・・

そんな事を想像しているうちに、三回目の痙攣がまた始まりました。


痙攣は通常は数分で治まるそうですが、長時間続いたり断続的に発症すると生命に危険な場合があるようです。


「先生!お母さんが・・・また始まりました・・・」

私は、「先生!」と言っただけでお母さんの変化を理解し、すぐさま対応をしてくれると期待したのですが、そうではありませんでした。

その時の私の異常に緊張した神経では、正直いかにもズブイように感じました。

こういう場合の医療の現場では落ち着きが鉄則なのでしょうから責める事は決してできませんが、身内の我々は何か大きな声で叫びたい気持ちでした。

通常であれば私たちは診察室の外で待たされ、中で何が行われているか知ることは出来ない筈ですが、看護師も居ない診察室でお母さんを一人にはできません。

お母さんの症状は次第にひどくなってゆき、つい今しがたの修羅場のような状態がまた始まってしまいました。

さっきは真っ暗な車中でしたから気がつかない部分もありましたが、今は病院の照明がやけに明るく、苦しむお母さんの顔色の変化とか全てを無情に映し出します。

お母さんが自分をコントロール出来ずバタバタと痙攣させる音、みるみるうちに赤黒くなってゆくお母さんの顔や手、激しくきしむベット、彼女のお母さんを呼ぶ声、びゅーびゅーと呼吸困難を叫ぶ悲鳴、私たち意外誰も居ない診察室・・・

いたたまれなくなり、私はまた医者のところへ行き言いました。

「何処と電話してるか知らないが、とにかく早く来てください!!」







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お母さんの事 10 

私たちは成す術など無く、ただ今目の前で起きていることを無抵抗に受け入れる他ありません。

ただひたすら、病院を目指しアクセルを踏みました。


時間の経過がひどく曖昧になって、それほど覚えていないのですが廃校になった野塚小学校を通過したあたりで、家を出てから10分は経過していたと思います。

私は脳梗塞を疑っていたので、時間との闘いでした。

一般に脳梗塞はその発症から3時間が一つのタイムリミットと言われていますが、目の前で起きている壮絶なこの状況は決して予断を許すものではありませんでした。

この時は当然知らなかったのですが、痙攣はそれほど長く続くものではなく、普通は数分で治まるそうです。

「もう無理だ」というような空気が車内に満ちた頃、信じられないことに痙攣が治まりはじめました。

とても喜べる状況ではないのですが、正直「やった、助かった」と思いました。

呼吸の音もだんだん落ち着いてゆきます。

彼女と私は自然と頷き、最悪の事態だけは回避したものと確認し合いました。


しかし、それはほんの束の間の事で二回目の痙攣がお母さんを襲います。

なぜか車のエンジンが高速で転る音が私の記憶に残りました・・・


大樹町の市街を抜け、歴舟川を渡り、間もなくして病院に到着する少し前に激しい痙攣が治まっていました。


「母さん、着いたよ、よく頑張ったね」私も彼女もそう声をかけました。


もう安心だ、いや、安心かどうかはまだ分からないが、とりあえず自分が出来ることはここまでだろう、と思いました。

ですが、私達が飛び込んで来るのを搬入口で待っているはずと思っていた看護士や医者がいません。

彼女が「呼んでくる」と言って、病院の奥に走りました。

私は少しでも早く院内へ入れたくて、入り口に見えていた車椅子へ走り、すぐさま車へ戻ると、信じられないことにお母さんは自力で車を降りようとしていたのです。

自らドアを開け、そのドアにつかまりながら左足を車から出そうとしていたのですが、多分この時、右足の自由がきかなかったのだと思います。

「お母さん、無理だ、無理しない方がいい」

お母さんは、こんな状態になっても私たちに少しでも迷惑をかけまいと精一杯の気遣いをしていたのだと思います。

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お母さんの事 9 

「よしのちゃん、お母さんなんかおかしいよ」

私は父の時とイメージが重なっていたので、その旨を伝え今起きた事を説明しました。

ですが、彼女は日常的にせん妄状態のお母さんを見ているせいか、私の危機感とはかなりギャップがありました。

何より、お母さん本人が「何ともないよ」と右手をつねりながら平静を装っていたのです。


床に落としたままの色鉛筆がありました。


私は何とも言い難いこのモヤモヤした伝わらなさに業を煮やし、とにかく電話をするように促しました。


「電話って、どこに電話すればいいの?」

「そりゃ、病院だろ」

そんなやり取りの後、彼女はいつも人工透析でお世話になっている大樹町の掛かり付けの町医者に電話をかけました。

ひと通り説明すると「とりあえず、連れてきてみなさい」とのこと・・・

お母さんは自分の支度をして、私は車を用意するため先に外へ出ました。

玄関先へ車をつけると、お母さんは彼女を待たず一人で降りて来ていました。

私がお母さんを迎えにいくと、もう明らかに普通ではない事を感じました。

声をかけても頷きはするのですが、言葉を発しません。表情も険しくなってゆく一方です。

少し遅れて来た彼女もにわかにただならぬ状況を理解しはじめているようでした。

家を出てすぐに信号で止まったのですが、私は赤信号だからといってこんな所で止まっていて良いのだろうか、と自問しながら助手席のお母さんとその後部座席にいる彼女をチラッと伺いました。

沈黙の中、信号が青を灯し大樹町へ向かいます。

病人を乗せた車なので気遣い、ゆっくりと進めましたが大樹町の病院までは20kmはあります。私はだんだんとアクセルを踏み込みました。

彼女が、「母さん、大丈夫?水飲むかい?」と、肩の辺りをさすっているようでしたが、お母さんは返事をすることもなく真っ直ぐ正面を見据えたままでした。


国道を北上し、野塚を過ぎた辺りの真っ暗闇の道を走行している頃、「ピュー,ピュー」と聞いたこともない音が聞こえて、お母さんの変化に気が付きました。

後部座席から彼女が何か言葉を発しながら、お母さんを抱きしめるように両手を廻していました・・・

お母さんは震えているとも違う、小さく暴れているように見えました。


痙攣が起きていたのです。

既に呼吸困難に陥っており、先ほどのおかしな音は、食いしばり、ぎゅっと結んだ唇からやっとの事で息を吐き出すお母さんの悲鳴でした。


体が硬くなってのけぞるように足を突っ張らせ、右手がシフトレバーのあたりをバンバンと叩くように上下して、ビュービューという音も、より激しく唸り声のようになって行きました。


彼女も混乱しているはずですが、落ち着いた、少し震えた声で「タオルか何か口にくわえさせるものないかな・・・」と言いました。


私は右手でハンドルを握り、左手でお母さんの手を押さえながら、「雑巾くらいしか無いな」と言いましたが、舌をかまれては元も子もないので雑巾でも手でも何でもいいから口に入れてしまえ、と考えました。

彼女は、お母さんの唇をこじ開けて、やっとの思いで指先だけ差し込んだようですが、お母さんの食いしばる力は信じられないほど強く、タオルが入る余地などなく、私たちがどうにかできる状態では既に無かったのです。

私は電話でこの状況を医者に伝え、救急車を呼んでおくように彼女に言いました。

彼女は、何と説明すれば良いか分からない様子だったので、「てんかん」のような状態だと伝えるよう促しました。



真っ暗闇で、時々すれちがう対向車のライトがお母さんの様子をフラッシュのように写します。

ドタバタと、大きく体を痙攣させながら両目をひんむき、呼吸困難でびゅうびゅうと、恐ろしいような息をするお母さんがそこにいました。

私は更にアクセルを踏み込みました。メーターは130km辺りを指していたよう気がします。信号機も徐行して全て無視しました。

この車を止めようとする者がいるならば、それが警察であろうが何であろうが従うつもりはありません。

病院に着くまでは・・・

現実とは思えない、先の見えない闇の淵へどんどん吸い込まれていくような感覚。
この狭い空間にはまぎれもなくお母さんと私と彼女の三人しか居なくて…。

そしてきっと聞こえているはずだと信じ、「お母さん、もうすぐ着くからね、もう大丈夫だからね」と、大丈夫なのかどうか何の根拠もなく声をかけました。

彼女も、繰り返すように同じ言葉をかけましたが、私たちが出来ることはもうそれくらいしか無かったのです。


「ああ、人の死の瞬間なのだな、たった今この車の中でその瞬間に立ち会うのだな」
と、妙に冷静に心の中で思う、もう一人の自分がいました。

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お母さんの事 8 

日曜日の事でした・・・

私は電話台の製作に熱中し、あっという間に時間が過ぎました。

夕方になり、この日の作業はもう終わりです。私の一坪工房は公営住宅の物置なので午後5時あたりまでが限界でしょう。

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過去に苦情がきた事は一度もありませんが、快く思ってくれている人ばかりではないとおもいます。


二階の彼女の住宅に上がり、木の粉まみれになった全身をシャワーで流しました。
彼女がまだ台所で食事の支度をしていたので、私はその間動画サイトを検索していると、お母さんがそれを見て「まあちゃんは勉強熱心だから」と言いました。

私は「勉強なんかじゃないよ、遊んでいるんだよ」と言ったのですが、お母さんは私の邪魔を気遣い、自分の部屋に入ってしまいました。

それを見て今度は私の方が申し訳なく思っていると、お母さんは部屋から何かを持って現れました。

お母さんは「まあちゃんはお勉強だから私もやるよ」と言いながら広げたのは、ぬり絵でした。

広尾町のお年寄りには「なごやかサロン」という老人クラブのようなサークルがあり、毎月一回ですが彼女のお母さんもそこに参加しており、いつも楽しんでいるようです。
「なごやかサロン」では楽しい事が多いようですが、そんな中ででもお母さんが一番熱心だったのがぬり絵だったようです。

宿題があったとも思えないので、お母さんがその時持って来たのは余計に頂いたものなのでしょう。

私はネットを検索、お母さんはぬり絵、彼女は夕食の支度…

テレビが小さくつきっぱなしで、たしか「笑点」が流れていたと思います。

トントントンっと台所で何かを刻んでいる音が聞こえていました。


不意に、お母さんが「あ痛っ」と持っていた色鉛筆を落としました。

私がチラッと見ると、右手の甲のあたりをさすっていたので私は「大丈夫かい」と聞くと、お母さんはニコニコしながら「なんともないよ」と言いました。

その時は私もさほど気にもとめずにいたのですが、今度はさすっていた右手をつねるような仕草をしていたので私はチョット想うところがあり、お母さんの膝元へ近寄りました。

何故かというと、つい最近私の父が脳梗塞で倒れたのですが、その時手にしていた物を何度も落とし、意味不明な言動があったと、一緒に居た人から聞いていて、目の前のお母さんとイメージが重なったからなのです。

私はまだ夕食の支度をしている彼女を呼びました。

「よしのちゃん、お母さんなんかおかしいよ」

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