家具雑貨工房 ki-kiru(きーきる)

木の家具や雑貨は見えない部分が肝心です。隠し事はありませんよ、全て公開しています。

 

お母さんのつくえ 8 

お母さんを交えた夕食は大事な時間です。

私がお酒を飲んで酔っぱらうと、まだ少しあったお母さんとの距離感が、その時だけ無くなるような気がしました。
 
ですから、夕食の時お酒を呑んでしまうので、日曜日の夜は広尾に泊まらなければなりません。

 月曜日は、朝早く起きて帯広の職場へ向かいます。コレがなかなかきついんですね。
朝早いからといって、前日そんなに早く眠れる訳もなく、翌朝は半ば無理矢理体を起こし、いつも戦争のような感じで身支度をしました。
戦争といっても、私一人があたふたと服を着て、
 「鍵!財布!たばこ!携帯!」と、あちこちのポケットをポンポンと叩きながら、あわてて出勤するのでした。

 ブルンッと車のエンジンをかけて、家の窓に目をやると、彼女とお母さんが寄り添って手を振っていました。


 平日は、毎日電話をして、その日あった事を報告します。
彼女もまた広尾での出来事を私に話すのですが、お母さんの痴呆の進行具合を訴えるような内容が、日に日に多くなっていました。
 
 一人では歩行も満足に出来ない上に、幻覚、幻聴を覚えるようになってしまったのです。

当時、私がよく聞いたのは、目の前にニュッと猫のシッポが現れたり、又あるときは、バナナが出てきて、房の数がだんだん増えてくると、言うのです。
 お母さんには実際にハッキリと見えていたのでしょう。 
私たちは、『お母さん、やっと自由になれたのに・・・』と嘆くしかありません。

 この時はまだ知らなかったのですが、この幻聴、幻覚は《せん妄》という、やっかいな症状でした。


 私の平日の退屈など、どうでも良いのですが、お母さんは違います。 進んではならないものが、あるのです。
ある日突然、環境が変わり、しかも財産は座布団一枚だけでしたので、日中のお母さんは、とくにすることが無かったのです。
私の彼女はその辺を気づかい、お母さんに毛糸の編み物を用意しました。

 私が広尾の彼女の家に行くと、いつも編み物をしているんですね、コツコツと少しづつ‥‥
 
 私はそれが出来上がると、何になるのか分かりませんでしたが、私の彼女がこっそり教えてくれました。

 「あなたの、マフラーを編んでるのよ‥‥」

  

 
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お母さんのつくえ 7 

凄く暑い夏の日でした。

 その休日も、私はいつものように広尾の彼女の家に来ていました。 これも塗っちゃおうかな……
 パソコン用のテーブルが茶の間にデンッとあるのですが、これは以前、私がキャンプで使っていたアウトドア用の折りたたみのテーブルです。アルミの脚の上に天板を載せただけのもので、天板は白木のままでした。彼女は、せっかくの休日だから、体を休ませたほうが良いという意味で、
 「そんなの塗らなくていいよ、」と言ったのですが、既に私の頭の中では イメージが出来上がっていて、こうなると、誰も私を止められません。
 暑い暑い、と言いながら紙ヤスリで磨き、汗をタラタラ流しながらニスを塗ります。
 出来上がると、やはり、「イイネ、イイネ」と、ただの白木からマホガニーに変身した天板を眺めました。
 彼女が「ちょっと一服したら?」と言いました。
私は彼女の方をチラッと見て、ニヤっとしました。‥‥

 
 週末は可能な限り広尾へ行ったのですが、当時私は職場で仕事を持ちすぎていて、休日を取れない事もざらでした。 数週間ぶりに彼女の家に行くと、疲れて、やつれた彼女がいました。  痩せたな…
 彼女自身も残業の多い職場で働いていたのですが、それにくわえ、お母さんの毎日の介護が想像以上に大変だったのです。
 お母さんの痴呆も日々進行しているようで、精神的にもギリギリの状態だったと、記憶しています。
 私に出来ることと言えば、彼女の体をマッサージしたり、冗談を言って二人を笑わせたり、木を切ったりする事くらいでした。

 ある日、彼女が仕事に出かけ、私とお母さんが二人で留守番をする事があったのですが、その時お母さんが、「昔は畑仕事とか、牛の世話とか毎日大変だったけど、今はなんにもしなくていいから、ホント天国みたいだよぉ‥‥」と言っていました。
 私の彼女に対する、感謝のことばであることは言うまでもありません。

 

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お母さんのつくえ 6 

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テレビ台が完成しました。
 廃材利用なので材の種類や厚さが違います。側板と真ん中の棚材はシナランバーです、天板底板はなんという材なのか分かりません。おが屑を圧縮してサンドしたような合板です。

 テレビなどを載せ、3人でまじまじと見ます。 お母さんが、『色を塗るとはねぇ・・・私も考えなかったわ』と言いました。 なぜ、そんなことを言ったのか、私と彼女が少しキョトンとしていると、急にお母さんが塗装方法について語りだしたのです。
 サンダーのかけ方や、塗りの種類・・・ 彼女がビックリして『お母さん、なんでそんな事知ってるの?』 と、問い詰めるように言いました。
 
  『私の父親がね、木をこうやって切ってね、家の中の物とか何でも自分で作ってね。』
 
 お母さんが少し遠くを見ながら昭和10年代、自分の子供の頃の話をするのです。
 私は年寄りの昔話が好きで、質問をしたり、へぇ~、とか言ったりして こころの距離を近くしました。
私の彼女は特に、『自分が結婚したら旦那さんが家具を作って、私が台所で食事をつくる。それが夢だったの・・・』 このフレーズが印象に残っていて、今でも私が木をいじっていると『ハッ』と気づいたように台所へ走るのでした。

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お母さんのつくえ5 

週末のお母さんと彼女と私の3人の生活が始まりました。

 お母さんは士幌町の農家で生まれ育ち、経緯は分かりませんが芽室町雄馬別の農家に嫁ぎました。
 これはお母さんから直接聞いた話なのですが、嫁と姑のありがちなアレコレと過酷な農作業が若い頃のお母さんを相当苦しめたそうです。私は帯広の都会育ち(笑)なので実際のご苦労は、私の想像を越えていると思いますが。日高山脈の真下、十勝平野の手前で、とても肥沃とはいえない土、人力と馬力に頼るしかない作業…
時代が違うと言われればその通りですが、もうこれ以上は曲がらないだろうと思うくらい曲がってしまったその腰を見ていると、残りの母の人生、良い思いとなるよう私たちが努めなければならないのだな、と思いました。

 お母さんと3人で週末を過ごすようになってからは、以前のように彼女と二人だけで出かけることは殆どありません。残念なことにお母さんは痴呆がはじまっていたのです。
 休日、家でジッとしている事が苦手な私は、何かこの退屈な時間を利用して、出来る事はないかと考えていると、テレビの下の品のない台に目がとまりました。 ニスでも塗ろうかな…
 私は、「きっと、ステキになるよ。」と言って広尾町にあるホームセンター "イング”へ、ニスを買いに行きました。 田舎の金物屋ですが、バカに出来ないほどの品揃え。何を買っても割高ですが、だからといって90km離れた帯広まで行くわけにはいきません。仕方なく、マホガニー色の水性ニスを買い、地方特有の接客態度に顔色も変えず、お店をあとにしました。
 
 帰り道、ビックリするほど青い海(子供の頃、魚釣りで来たときはいつも灰色でした)、どこまでも続く日高山脈、キラキラ光るラッコ川にうっとりしながらニスを塗ったテレビ台をイメージしていました。

 程なく到着、テレビなどをヨッコし、なんか、呆気なくというか、すごく簡単に二回目の塗装を済ませました。

 イメージぴったしでした。カミヤスリの撫で方も簡単に終わらせてしまったので、仕上がりは凸凹でしたが塗装前とはまるで別人で「なかなか良いではないか」と、思ってしまうのです。
 
 「ちょっと一服したら?」と、スッピンの彼女が言いました。
 

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お母さんのつくえ4 

『おかしい、こんなはずでは・・・』

テレビ台の真ん中に棚を設けたのですが、そいつが少し長くて天板に側板をあわせると底板と側板がズレてしまいます。その反対も同じこと。
 鉋でもあれば調整もできたのでしょうが、彼女のマンションには電動ドリルドライバーしかありませんし、私自身鉋どころか、ろくな道具ももっていません。
それでも、相手は木です。片方をネジでとめておいて、徒手空拳、エイヤッと力を込めてギュッと木を曲げるのです。プルプルしながら、丁度いいところでネジを入れます。
 私はクランプを持っていませんでした。 それどころか、板矧ぎに使うような、ナガ~いクランプの存在すら知りませんでした。
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 小1時間ほどで、あっという間に完成。テレビなどを載せ所定の場所に収めると『なかなか良いではないか』と思ってしまうのです、自分で作った満足感がありました。彼女もそうに違いない・・・



 その後、とくに木工にハマルわけでもなく、休日といえば二人でバードウォッチや魚釣りを楽しんでおりました。私たちは主に川へ出かけたのですが、それはまた絶景なトッテオキのポイントがあり、時々彼女が、
 『うわ~、こんな素敵なところお母さんにも見せてあげたいなぁ』と、つぶやくのです。
 
 
休日は広尾の人間になりすまし、平日は帯広で会社勤め。そんな事を繰り返していたある日 彼女が、自分のお母さんだけを引き取り、面倒を看たい旨を私に伝えてきました。
 
彼女の両親は芽室町の雄馬別という地区で農業を営んでいたのですが、いろいろあって離農し、まちへ出て来て、今は老夫婦二人で年金暮らし・・・そんなよくある風景が、一転して電撃が走ります。
 
詳しいことをここに載せる事は出来ませんが、私の彼女はヤル時はヤルのです。ある日突然、お父さんに内緒でお母さんを連れ出して来てしまいました。家出です!しかも、急いでいたのでしょう、お母さんは手かばんと、座布団1枚だけ持って、まるで夜逃げのように。
 
 お父さんのところから逃げて広尾へ向かう途中、私と落ち合い挨拶をしました。
 『お母さん、これからよろしくね、』と私が云ったかどうか、もう覚えていませんが、何かヤバイことに加担しているような、久々のワクワクを感じながら広尾へ向かう彼女の車を見送りました。

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お母さんのつくえ3 

「俺が作ってやるよ」
そう言ってテレビ台の寸法を その辺の紙に書き留めました。 後日、私の勤める帯広の職場でゴミ置き場というか、粗大ゴミ置き場というか、とにかく もう誰も使わなくなった物の墓場を物色していました。それは私にとって結構楽しい時間でした。当時私は木の再利用をテーマとし、捨てられていた家具等を分解し使えそうな天板などを加工していろいろな物を作っていたのです。彼女のテレビ台もそうやって廃材を再利用しました。
バンバンと叩いて分解し、釘を抜いて切るのです。
私が持っている電気工具は小さな電動ドリルだけだったので丸鋸が必要なときは父からいちいち借りてきて板を切っていました。なんとか木取りがおわり、車に積んで彼女の住む広尾へ飛んでいきます。なぜトバさなければならないか というと、帯広から広尾町は約90kmもあるのです。仕事の後に材を切って、それから広尾まで行くのですから トバさない訳にはいきません。
 1時間ほどで着きましたが21時はすぎていました。すぐに組み立てます。翌朝からやればいいのに、ネジでビシバシ止めていきます。こどものように明日まで待てず、夢中でやっていました。でも、途中で何度か手が止まり ジッと見つめる瞬間がありました。 矩の狂いと目違いです。
ちゃんと測って直角も気をつけたのですが、あちこち怪しい感じでした。
 会社で使う物は使えさえすればそれで良かったのですが、茶の間に置く家具はそうはいきません。普段 紙の加工をしている私は、直角や寸法通り紙を切るという基本がどれだけ難しく又、それが備わっていなければ商売にならない事を理解しているだけに、
 「許せない、きっとコツがあるはずだ。もしかして、道具のせいか?」 と、いろいろな事を想像し悶々としながらも組み立てを続けました。

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お母さんのつくえ2 

私は、今振り返ってみると木工と言うよりもただDIYが好きな青年でした。
だからといって今、スゴくクリエイティブなものを造れるかというと、とてもそんなレベルではないのですが、以前私の作っていたものは子供の工作のような、 ヤッツケ仕事ばかりでした。
 すべてネジで止めてハイ出来上がり。ポンドなんか使った事はありません。申し訳程度にカミヤスリを撫でておしまい。それでもその工作を見た人は「スゴイネ、器用だなぁ」と私を褒めてくれるのです。 調子にのっていました。 そんな頃、当時交際していた彼女が仕事の都合で単身 帯広から広尾町に引っ越しする事になりました。
新居を訪ねてみると、以前はなんとも思っていなかったのですが、意外と家具が少ない事に気がつきました。 テレビなんか床に直置きです。

 「テレビ台、俺が作ってやるよ。」

 当然、彼女は「嬉しい!本当に?」と喜んでみせたのですが内心のことは分かりません。本当は、作るのではなく、買って欲しかったのだと思います。 この頃が私の木工のはじまりでした。

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お母さんのつくえ 


お母さんのつくえを作りました、でも今は使っていません。

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